阪急100系

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'70-5-24 桂
1501 他4連

'71-9-12 淡路
125 他5連

'72-2-15 大山崎
127 他4連

'73-2-16 淡路
132 他6連

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'69-4-28 十三
127 他4連

'69-8-10 桂
1521 他4連

'75-1-26 正雀
116(保存車)

'75-1-26 正雀
116(保存車)




'71-7-14 東向日町 127 他4連

(当時の他の画像は下記をご覧下さい)
"阪急京都線・桂〜西京極・71年4月"


名古屋延長まで想定し、主要街道とは立体交差して開業した新京阪鉄道(現阪急京都線)が、我が国初の大型高速電車として製作したのがデイ100形・フイ500形である。
”P-6”という社内呼称と共に、戦前には大山崎付近で省線「燕」号を追い抜いた”超特急”電車としてのエピソードでも、広くその活躍が知られている。
 
堂々たる7連の編成で梅田〜京都間の急行運用に就いていたが、1973年(昭和48年)3月までに全車が廃車となった。但し、阪急正雀工場内には116号車が動態保存されており、レイルウェイフェスティバル等の催し物の際には、今でもその雄姿を見る事が出来る。
 
上記写真を撮影した'70年代頃まで十三駅東端には7号線ホームがあり、十三〜河原町間運用の100系4連が、人知れずひっそりと折り返していたのが懐かしい。